今日は「全身麻酔」と「麻酔器」の話です。
外科医である私が、全身麻酔を語るなど、麻酔科の先生に怒られてしまうかもしれませんね(笑)
「全身麻酔」と「麻酔器」
「麻酔器」とは?
「麻酔器」とは、いったい何なのでしょうか?
外科手術で「全身麻酔」をかけるために必要な器械が「麻酔器」になり、「人工呼吸」と「吸入麻酔」の管理を行うのです。
そして「全身麻酔」に必要な3つの要素として、「鎮静」「鎮痛」「筋弛緩」があります。
全身麻酔の3つの要素
全身麻酔の3つの要素とは?
「鎮静」 意識を消失させることで、手術中の不快な記憶をなくします。
「鎮痛」 痛みを軽減させることで、刺激が加わっても目が覚めたり、血圧が上がったりするのを防ぎます。
「筋弛緩」 骨格筋を弛緩させることで、筋肉のこわばりを防ぎ、手術の操作をしやすくします。
「全身麻酔」で手術をするということは、この3つの要素に必要な薬を投与することになります。
薬を投与する経路として、点滴から薬を投与する「静脈麻酔」とガスで吸入する「吸入麻酔」があります。成人の手術の場合、全身麻酔は点滴から薬の入る「静脈麻酔」からスタートするので、吸入薬を吸い込んで眠りにつくというわけではありません。一般的によくあるイメージで、顔に当たっているマスクからは、実は酸素が投与されているのです。(一部の症例、小児の症例では、吸入麻酔を先行させることもあります。)
「筋弛緩」を使うと「人工呼吸器」が必要になる
外科手術では、メスで切らなければならないので、「鎮静」「鎮痛」に加えて、「筋弛緩」が重要になります。ダメージを受けた時に無意識に手で払ったり、体が勝手に動いて逃げたりしないようにするためです。
しかし、この筋弛緩薬と使うとどうなるか・・・
それは動けないだけではなく、呼吸をするために肺を膨らませるのに必要な「肋間筋」や「横隔膜」の力が抜けてしまうので、呼吸が停止してしまうのです。そうなると、呼吸のサポートを行わなければなりませんので、「人工呼吸器」を使う必要がでてきます。外科手術の際に使う「人工呼吸器」、それが「麻酔器」なのです。
「麻酔器」には通常の人工呼吸器の機能に加えて、吸入薬(麻酔ガス)を混ぜる機能がついています。これが通常の「人工呼吸器」との大きな違いになります。
ちなみに胃カメラの時の全身麻酔は・・・
蛇足ですが、手術の説明の際に、「全身麻酔をかけるので、人工呼吸器につながります」という説明をします。この説明のときに、胃カメラや大腸カメラを眠って受けたことがある人は、「全身麻酔は経験あるけど、人工呼吸器は使わなかった」と質問を受けます。実は、全身麻酔の3つの要素のうち、胃カメラや大腸カメラで使うのは「鎮静」と「鎮痛」までになります。メスで切る処置を行わないため、「筋弛緩」までする必要がないのです。
もちろん「筋弛緩」を使わないケースでも、「鎮静」や「鎮痛」が深く効きすぎると、呼吸抑制が働いて、自発呼吸が弱くなったり、止まったりすることがあります。そのため、胃カメラや大腸カメラでは、呼吸抑制が出ない程度の適量の「鎮痛薬」と「鎮静薬」を使うため、人工呼吸器が必要ないのです。
「麻酔器」の更新が迫る
実は、当院の「麻酔器」の更新時期が迫っています。
現在、当院で使用している麻酔器は、2017年8月の開業に合わせて購入したGE社Aespire 200で、当時のミドルグレードの機種になります。
購入当時、モデル末期であったため、デモ使用していた新古品が安く手に入りました。購入の時点では、必要な機能を備えていましたが、問題が一つありました。モデル末期の製品であったため、購入した当初から、サポート終了が2025~26年頃と言われていました。それでも、10年近く使えればと思って購入したのですが、コロナ禍の影響で、サポート終了が早まり、2024年12月末までとなりました。運がいいことに、O2センサーやフローセンサーといった消耗品が、現在、販売中のモデルと共用されているため、消耗品の購入はまだまだ可能ということでした。
そうなると、新規に導入する麻酔器をどうするか、こちらが最大の関心事項になります。
麻酔器の2大メーカーは、Dräger とGE
麻酔器の2大メーカーといえば、ドイツのDräger(ドレーゲル) 社、アメリカのGE社の2社がトップブランドになります。
続いて、スウェーデンのGETINGE(ゲティンゲ)グループの傘下で、昔から手術室の器械に強いドイツのMAQUET(マッケ)社があります(ちなみにドラマ「ブラックペアン2」の中で心臓を抑える器具に「MAQUET」のロゴが映るシーンがあります)。MAQUET社の麻酔器は、フクダ電子が販売代理店を行っています。日本国内で麻酔器の製造・販売を行っているのは、アコマ医科工業、泉工医科工業があります。
換気の基本モードはVCVとPCV
昔からある麻酔器は、人工呼吸器のモードが必要最小限の機能のみで、気化器が一つあれば麻酔はかけられます。
必要最小限の機能とは、VCVモードといって、換気量と呼吸回数を設定して人工呼吸を行います。設定した換気量に到達するまで圧がかかります。圧の頂上の時間が短いため、ガスが入りやすいところばかりに入ってしまうため、換気血流比が悪くなるといわれています。換気量で1回の呼吸を決めるので、規定の換気量が入るまで押し込むので、圧が高くなりすぎることがあります。しかしながら、VCVのみの麻酔器は、機能がシンプルなため、筐体が小さくて場所を取らないので、クリニックや動物病院などで使用されることが多いです。
この最小限の機能でも手術はできますが、今はもっと性能が良い麻酔器がでています。
必要十分な機能として、PCVモードがあります。こちらは、設定した圧までガスを押し込み、設定圧をキープしてじわじわと押し続けてくれます。圧を保って押していくため、気道が広がりにくい部分にもガスを送り込むことができるので、換気血流比が改善されます。しかしながら設定圧を目安にするため、換気量が少なくなることもあります。
VCVでは、換気量が保てるけど、圧が高くなりすぎたり、圧のピーク時間が短いために抵抗の小さいところばかりにガスが押し込まれるので、換気血流比が悪くなる可能性があります。PCVだとジワっと押し込みようにゆっくり圧がかかるので隅々までガスがいきわたるけど、換気量にばらつきがあり、換気量がかなり少ない時がでてきてしまうのです。VCVでもPCVでも一長一短があり、悩みが付きまとうのです。
PCV-VGモードとは?
VCVとPCVの「いいとこどり」した換気
最近の麻酔器では、このPCVモードの弱点を補った機能が搭載されています。圧を一定に保って換気しながら、換気の最低量も確保するという換気モードが登場しています。VCVとPCVの「いいとこどり」の換気モードが搭載されているのです。
メーカーごとに呼び方と若干のメカニズムが違いますが、圧を保ちながら、最低換気量も担保するといった解釈で間違いないのです。Dräger社ではAutoFlow、GE社ではPCV-VGと呼ばれています。(このブログではPCV-VGを使わせていただきます。)
PCV-VGモードは、現在、スタンダードになりつつある換気モードです。つまり必要十分の機能が、このPCV-VGまで搭載している麻酔器かどうかになります。
最高性能の麻酔器とは
最高性能の麻酔器とはどんなものでしょうか。集中治療室で使うような多彩な人工呼吸器のモード(SIMV、CPAP+PS、APRV)が使えたり、麻酔バッグで用手的にグゥーっとガスを送り込んで肺胞を膨らます「肺リクルートメント」の手技が、麻酔器で自動化できるといった機能が付いています。「肺リクルートメント」機能については、麻酔バッグを手で押して、触覚として肺を膨らませる感覚を重要視している麻酔科医もいるので、高機能であるけれど、必ず使われているものではありません。
最高性能の麻酔器は、どんな状態が悪い患者さんでも、緊急手術でも対応できるので、まさに最高性能といえますが、高機能であるために筐体が大きくなってしまいます。広い手術室でなければ、設置できないので、その機能が本当に行う手術に対して必要かどうかの見極めも大事になります。
鼠径ヘルニアの日帰り手術に必要な麻酔器は?
鼠径ヘルニアの日帰り手術では、基本的には元気に歩いて来院される患者さんがほとんどです。手術室入室前から、意識がなく、血圧も呼吸も不安定な状態の悪い患者さんを手術するわけではありません。全身状態が悪い場合の手術では、手術終了後も、挿管したままICUで引き続き集中治療を行うケースもあります。しかし、ここまでの全身状態の悪いケースに対応できるような最高性能の麻酔器は、鼠径ヘルニアの日帰り手術では必要ないかもしれません。
しかしながら、元気に歩いて来院することはできても、喫煙歴が長く肺が固くなっていたり、肥満があって胸郭が重くて膨らみにくかったり、喘息などの呼吸器疾患を持っている方には、PCV-VGなどの高機能な換気モードは有用になります。
以上を踏まえると、確かにVCVモードのみで麻酔をかけることは可能ですが、必要最小限となります。かつてはVCVとPCVを搭載している麻酔器は必要十分でありましたが、現在では、PCV-VGモードまで搭載している麻酔器が必要十分といえるでしょう。鼠径ヘルニアの日帰り腹腔鏡手術を安全に行うためにも、このPCV-VGは、ぜひとも欲しい機能になります。採用する麻酔器は、PCV-VGモード搭載機種に絞って、選んでいきたいと思います。下位のグレードでもオプションで必要な機能を加えることで、PCV-VGモードを搭載できる麻酔器もあります。
どのメーカーの麻酔器がいいのか?
PCV-VG相当の機能を搭載している麻酔器のメーカーは、
Dräger、GE、MAQUET、Mindray、泉工医科工業になります。
ここで、Mindray(マインドレイ)という聞きなれないメーカーがでてきました。Mindrayは中国のメーカーで、コロナ禍以後に、世界的に大きくシェアを伸ばしたメーカーです。価格が比較的安価なため、DrägerやGEの麻酔器を買うことができない途上国を中心にシェアを大きく伸ばしています。自動車販売の世界シェアとよく似た構図かもしれません。
日本のメーカーで麻酔器を取り扱っている会社として、フクダ電子、アコマ医科工業、泉工医科工業の3社をあげました。
実は、フクダ電子はMAQUET社製の麻酔器を、アコマと泉工はMindray社製の麻酔器を国内代理店として販売しています。フクダ電子は自社開発製品はありません。アコマと泉工は、自社でも麻酔器を開発、販売をしています。しかし、PCV-VGモードまで搭載している国産の製品ということになると、泉工医科工業だけになります。
日本メーカーを応援するか、広く普及している安心感か
実際の運用面での問題
機能面で考えると、PCV-VGモード搭載の麻酔器であれば、どのメーカーのものでも問題はないのです。しかし、運用面での課題があります。それは、使いやすさ、慣れの問題です。
当院の麻酔科医の先生は、曜日ごとに、大学病院や大きい総合病院に勤務している先生に来ていただいております。大きな病院で使われている麻酔器は、Dräger、GEがほとんどです。どちらかを選んでおけば、普段使っている麻酔器だったり、絶対に一度は使ったことがある麻酔器になるため、咄嗟のときでも操作に困ることはなくなります。この辺りが、日本国内で広く普及しているトップブランド2社の強みです。特に大きい病院ほど、DrägerかGEの麻酔器を使っている施設がほとんどです。
操作性は、MAQUET、Mindray、泉工医科工業もそれぞれ工夫して、なるべく直感的に扱えるような操作パネルになっています。追随するメーカーも工夫をしなければ生き残れません。しかし、いつもと同じ器械、同じ操作という安心感が、DrägerとGEにはあるのです。
日本のメーカーには頑張ってほしい
個人的には、国内のメーカーに頑張ってほしい気持ちがあります。このまま中国メーカーの販売代理店としてメンテナンス業務を行うのではなくて、国産の麻酔器をどんどん世界に輸出していって欲しいです。日本のメーカーが、このまま麻酔器まで作らなくなってしまうのは、日本の国力がどんどん落ちてしまいそうで心配になります。
ただそうはいっても、2大メーカーの圧倒的なシェアには割り込めず、その隙間に中国のMindrayが入ってきたわけですから、日本メーカーにとって状況はかなり苦しいのです。
日本メーカーを応援したい気持ちか、大多数の病院に普及している安心感・安定感か。
当院のたった1台の麻酔器の購入で、業界の勢力地図が変わるはずもないのですが、この点が悩ましいです。日本のメーカーには、いい製品を作って、自然とたくさん製品が売れていく、そんな医療機器を作って欲しいです。(実際は、宣伝も売り込みも大事であることはわかっております。どの業界も一緒です。)
「いい手術をすれば、自然と患者さんが来てくれる」という理想と、「広告を出さなければ、検索エンジンにかからず淘汰されていく」という私自身が置かれている現実世界が重なって、無意識に日本メーカーの麻酔器に感情移入してしまっているのかもしれません。ここは冷静に判断しなければなりません(笑)
サポート期限の終了が迫っていますので、近々、新しい麻酔器を導入します。
PCV-VGモード搭載の麻酔器を導入予定なので、今よりもさらに安全な麻酔管理ができるようになります。
少しでも良い手術につなげていければ、と思っております。
この記事を書いたのは…
2002年山梨医科大学卒業。2008年長野市民病院でTEP法をみて衝撃を受ける。以来、鼠径ヘルニアの理想的な治療はTEP法だと確信して手技の研鑽を積む。2017年8月の開院から全ての手術を執刀。「初診から術後経過まで、執刀した外科医が責任を持って診るべし」が信条。好きな言葉は『創意工夫』