腹腔鏡手術なのに「お腹の中に入らない」
「お腹の中に入らない」なんて、何をおかしなことをいっているのだと思われるかもしれません。そもそも「お腹の中」というのは、厳密にいうとどこからがお腹の中になるのでしょうか?
「腹壁」の構造から説明すると、表面から「皮膚」「皮下脂肪」「筋肉」「腹膜」となります。「腹膜」の内側が「お腹の中」になり、胃・肝臓・胆嚢・小腸・大腸などの臓器が包まれています。大多数の一般的な「腹腔鏡手術」とは、「腹膜」を貫いて「お腹の中」に入り、腹腔内の臓器を操作する手術のことをいいます。
では、大多数ではない、少数派の「腹腔鏡手術」とは何でしょう?
それが腹腔内に入らない腹膜の外側にカメラを入れて行う手術になります。実は、腹膜に包まれていない臓器というのがあるのです。「後腹膜臓器」と呼ばれます。十二指腸・膵臓・腎臓・副腎などがこれに当たります。例えば、腎臓の手術では、腎臓に到達するまでのアプローチ経路が2種類あります。腹部の真ん中を切る「正中切開」で腹膜を破って腹腔内に入り、後ろ側の腹膜=「後腹膜」を破って腎臓に到達する経路と、側腹部を切って筋層の下まで入り、筋層と後腹膜の間の層=「腹膜外腔」を通って腎臓に到達するルートです。この後者の腹膜外腔にカメラを入れる手術が、少数派の「腹腔鏡手術」=お腹の中に入らない腹腔鏡手術なのです。
TEP法とは、Totally Extra-Peritoneal repairの略で、直訳すると完全腹膜外修復法になります。「腹膜外腔」にカメラを入れて手術を行うのがTEP法です。
鼠径ヘルニアの場合はどうなのか?
鼠径ヘルニアの手術は、「腹壁の隙間」もしくは「腹壁が弱くなった部分」から「腹膜」が飛び出てしまう病気です。鼠径部切開法では、体表から切開を入れてアプローチして、飛び出ている腹膜を処理し、腹壁部分に補強のメッシュを入れる手術になります。腹腔鏡の場合は、腎臓の場合と同じくアプローチ経路が2つあるのです。腹腔内を経由するTAPP法と、腹膜外腔を経由するTEP法です。
TAPP法は、いったん腹腔内に入り、腹腔内から飛び出ている腹膜を切開し、メッシュを差し込める隙間を剥離してメッシュを入れ、最後に切開した腹膜を縫合します。
TEP法は、臍の付近から、腹直筋の裏側を、正確にいうと腹直筋と腹直筋を包んでいる腹直筋後鞘の間を通って、鼠径部に到達します。この間の層というのは、もともとが結合がうすい部分で(疎な結合織と呼ばれます)、炭酸ガスを入れると簡単に分離していきます。この自然に分離する間隙を利用して、メッシュを置いてくるのがTEP法の特徴です。
TEP法のメリット、デメリット
TEP法のメリット
腹腔内の操作がないため、小腸・大腸などの腹腔内臓器の損傷のリスクが低い。
腹腔内の操作がないため、癒着の発生の確率が低い。
腹膜を切開して人工的に作った「窓越し」ではなく、直接、鼠径部の全貌を俯瞰できる。
メッシュを挿入するスペースに直接、局所麻酔薬を散布することができ、また鼠径部での腹膜切開がないため散布した局所麻酔薬がとどまりやすく術後の鎮痛効果が得られやすい。
TEP法のデメリット
腹腔内に入らず操作を行うため、反対側に鼠径ヘルニアが存在しているかを確認できない。
TAPP法では腹腔内臓器の損傷のリスクがデメリットと言われているのに対し、TEP法では血管損傷のリスクがデメリットと言われている。
腹膜前腔の視野は、外科医にとって馴染みが少ない視野のため、手術手技の習得が難しく、TEPをマスターするまでに少なくとも50~100例の症例を要すると言われている。
当院のTEP法の工夫
腹腔内の観察をおこなう
「TEPは腹腔内に入らないことがメリットであり、デメリットでもある。」
TEPの特徴は、まさにこの一言に尽きるのですが、やはり、反対側の観察ができないということは、手術を受ける方にとっては大きなデメリットになります。本人の自覚症状がないけれど、反対側に鼠径ヘルニアが存在していることがあるのです。この弱点を補うために、当院では、手術開始時に一度腹腔内にカメラを挿入して、反対側に鼠径ヘルニアがあるかどうかを確認します。もし同時に両側に鼠径ヘルニアがあった場合は、両側ともに治します。TEPの最大の弱点である反対側の確認ができない点をカバーしています。
臍を切開してカメラを入れる
「臍を切って、臍からカメラを入れる」
手術の説明でこの話をすると、多くの患者さんがびっくりします。「臍を切って大丈夫なのか」と。実は臍は、腹腔内にアプローチするには一番、効率の良い経路なのです。もともとは胎児期に母体と結ばれていた血管の通り道が「臍」であるので、わずかな隙間が開いているのです。この隙間を利用して、腹腔鏡を入れて手術をするのは、2010年頃から広く行われるようになりました。臍内に切開を行うのは、キズが目立ちにくいという以外に、腹腔内にアプローチしやすいというメリットもあったのです。
しかし、TEP法はお腹に入らない手術のため、通常のTEP法では臍の下に2cmほどの横切開を施し、腹直筋の下の層から、腹膜前腔に到達する方法で行います。しかし当院では、他の腹腔鏡手術と同じように臍を切開してアプローチします。前述のように、腹腔内にアプローチしやすく、キズが目立たないので理由です。
あえて腹腔内を観察しないこともある
腹腔内を観察しない方がいい場合があります。
それは腹部手術歴がある場合です。特に昔の開腹手術では、キズの直下に腸管が癒着していることが多いです。こういう場合は、あえて腹腔内観察を行わずに、鼠径ヘルニアを修復するのです。「反対側の鼠径ヘルニアの可能性」と「癒着した腸管の損傷のリスク」を天秤にかけたうえで、腸管損傷のリスクを回避するために、通常のTEP法を行うのです。腹腔内に入らない手術だからこそ、癒着の影響を受けずに鼠径ヘルニアを治すことができるのです。